私がボクである頃の傷が教えてくれた私自身へーその1ー

『ボクは欠陥人間。ボクは多感な隠れ繊細さんで内外向に矛盾する欠陥を持ってる。
ボクは利かん坊なので目立つからすぐに巻き込まれちゃってうまくいかなくなっちゃうんだ。』

「多感な隠れ繊細さんで内外向に矛盾する欠陥」が分からなければ、端から見ればワガママで鬼金棒の忙しない子供=問題児です。エレイン・アーロンが1996年に「HSP」の著書を書かれたので私の育った1970~1990年って「問題児」とされてきたのは納得かな。
心の中の矛盾と解離は小児期のトラウマや経験から読み取ることが出来た。小学校入学から低学年の記憶って2つしかなく全く正反対のことをやっている自分を思い出して少し驚きもした。正義の味方を演じて翌年は悪の権化かいっと。
そこで私は失敗し、当時の「ボク」は心を閉ざしたんですよね。自閉したわけではなく(できなかった)周りの事象への興味指向は残っていて、そして何より表現力がなく言葉にならなかったんですよね。ただ周りの環境や大人たちからのプレッシャーなど我慢してやり過ごすことを学んだんです。
「類は友を呼ぶ」ので理解の得られない子ども同士がつるむようになります。以降、望んでもないことに首を突っ込んでいたらしい話を聞いたことがあって・・・私自身は「ボク」の頃のことを覚えていなかったりします。
小学校高学年まで記憶はほぼなく曖昧で、先生などの似顔絵書いたりする程度だったかな。
学校の記憶がない理由は簡単で、父親の酒乱に家庭がボロボロになっていったから。
家庭事情によるトラウマは「言い出せない意思」が根底にあって納得のいっていないことが「巻き込まれる」という表現になっている。

家庭事情も心の事情も端から見たらわかりません

そうなるとやっぱり単なる「問題児」で自称「欠陥人間」ということになります