私がボクである頃の傷が教えてくれた私自身へーその3ー

『世の中はワガママな要求と圧力で出来ていてボクはイチコロ、それに我慢して過ごすんだ。都度離れて最小従えば済むと思ってきたけど、いつまでも「犠」になるのは無理。本当は怖いし矛盾を誰も分かってくれないから怒ってきたのに、とうとうボクですら制御できなくなっちゃうよ。』

「犠」は「イケニエ」です
あくまでも私ではなく「ボク」の頃から見た視点です

「気を使い過ぎ」で「人は人私は私」の利権でなりたっている部分を眺めると、「ボク」であったらどうか、どころではなく三つ子の魂百までもと同じことしているのに気が付きます。今では少し離れたり距離を取って最低限度掬うなんて芸当できる場合もありますが、殆どはそうではありませんよね。

私がワガママなガキなのか世の中がワガママの寄せ集めでポンコツなのかとかここでは問いませんが、まぁ、歪んでしまったようです。
身体が先か心が先か・・・両方で・・・死ぬわけでもない病気だからいいじゃないでか・・・とも、これも本人以外にはわかりませんよね。

距離感大事!なんて結構非現実的と私の心からは見えるんですよね・・・。

ただマインドフルネスで観察してみてトラウマを文章化していった過底で今後自分が失敗したときに、最後私の心に響けばいいので、断片的に表現してあります。
やっぱり繰り返すんだろうな、動けないし、ホント私はポンコツです。