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空気と星 の投稿 – 1年 10ヶ月前
人によって「当たり前」「普通」は違う
自分が「普通」じゃないことに苦しみを抱いてきた一方、自分にとってあまりに馴染みすぎていてそれがみんなにとっての「あたりまえ」じゃないと気づかないまま、無意識に人を裁いていたこともあったっけ
でも「普通」も「あたりまえ」も存在しない
それがあるように見えるのは、どこか偏った方に視点を置いて、そこから動こうとしないからだ「普通」や「あたりまえ」を正しさのように振りかざしてわたしたちは何をしようとしているんだろう
それはただ誰かとの間に線を引こうとする行為のひとつに過ぎないのに
ひとつの地球、ひとつの宇宙の中で分離しようと試みることなのに理解されない当然さ?
わかり合えない当然さ?あいつはこうなって当然とか
悲しい「あたりまえ」で現実を縛りたくない
自分で自分を縛り付けたくないよ昔は「自分みたいな人間は生き○○○いけないんだ」なんて変な「当然さ」で思い詰めたこともあった
そんな法則どこにもない
文字通り、自分で自分を追い詰めてたんだと今ならわかるこの世はたくさんの「差」でできてる
大きい差もあれば小さな差もあるざっくり多様性なんてまとめちゃったりするぐらい
「差」しかない多数と個に見えるけど、どう括りたいかの違いでそこにも差しかない
差だけ見つめ続けたら、人は誰でも、いつでもどこまでも孤独になれる
そんな自由があるだったらわたしは「差」を取り除く自由を選びたい
差を埋めるのは理解だと思う
理解には色んな質があると思うけれど、HSPが得意な共感も理解の手段だと思う人と人との差をとって、理解を深めて繋げることができるのがHSPだと思う
なにか特別なことをしなくてもいい
ただ、どちらかが正しいのではなくてどちらもただ「そうなんだ」っていうことを知っていてあげる裁くこと無くただ理解の中に身をおくこと
その自由を選択したい痛みを目撃しても、悲しみを目撃しても、飲み込まれてしまわずに、静かな深い呼吸と共に理解の道を選びたい
~新年の小さな抱負みたいな?笑
明けましておめでとうございます。わたしの想像する普通と自分は違いますが、互いの理解の場として今年もこちらを利用させていただければ幸いです。
コメントを戴くことも、うまく返事ができなくて反省会ばっかりでもどかしいですが、直接エネルギー見ていただければ感動と感謝があることを見ていただけると思います…すみません