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空気と星 の投稿 – 1年 9ヶ月前
かのオスカー・ワイルドは言った。
「楽観主義者はドーナツを見る。悲観主義者はその穴を見る」と。ドーナツはドーナツだから素晴らしい。
普通の揚げパンはそれでまた素晴らしいわけで。誰も「その穴さえなければもっと…」なんて思わないだろうけれど、みんな自分自身がそのドーナツだとは思ってない。
自分や誰かを見て「これさえなければ」とか「ここがこうならば」って。
何かが欠けた存在であるかのように見たりしてる。見方を変えたら人はジグソーパズルのようなものだ。
凸と凹のあるピースだ。
人と動物たちや自然、この地球にあるものと、もっと大きな宇宙にあるものを全部合わせて一枚のパズルが完成する。
何が欠けてもそれは完成しない。私たちは自分という固有のピースとして、その上にどんな絵を映そう?
どんな人生を描き出そうか?他のピースのようにならなくていいんだ。
だって全体の絵の中でそのピースは自分だけなんだから。
頑張っても頑張らなくても、その尊さもかけがえのなさも決して変わることはない。
kayoko99さん、お話しできて嬉しいです😊
マルチタスク苦手で返事が遅くなりました。
わたしもそうだったんです。コップに水が半分入ってる時どう思うかの例え…半分しかないって思ってましたから。
「ありときりぎりす」とか聴かされて育つとそう思う方が自然な気がしますもん。
でも、あるものを認められるっていうのは大事なことで、優しい世界には必要なことで、それは自分に対しても他人に対しても同じなんだってわかったので書いてみました。
こうやって振り返れたのはkayoko99さんのお陰です。
ありがとうございます!